2017年

内閣府副大臣【現職】

防災をメインに内閣府所掌業務を幅広く担当
政府の危機管理の”最前線”を担う重責

自民党政調会総務部会長

急遽の解散総選挙に際し、総務行政の「政権公約」とりまとめに尽力

2016年

総務副大臣 兼 内閣府副大臣

再度の「政務三役」入り
副大臣として、情報通信分野、放送・電波、宇宙政策さらには、郵政も所管
併せてマイナンバーを担当する内閣府副大臣も兼務

2015年 (平成27年)

国会対策委員会 副委員長

スムーズな法難審議に向け「国対」主要メンバーとして各会派との折衝に奮闘

2014年(平成26年)

自民党副幹事長

石破幹事長のもと、党運営の”奥深さ” ”難しさ”を学ばせていただきました。

第47回衆議院議員選挙

3期目の当選を果たす。

総務大臣政務官

政府高官として高市大臣を支え、各委員会での答弁にも

2012年(平成24年)

第46回衆議院議員総選挙

激戦の末、10万0494票を頂き議席奪還、2期目の当選を果たす。

2009年(平成21年)

第45回衆議院議員総選挙

多くの皆さまのご支援を頂きながらも、民主党新人候補と争い、10万4,361票を獲得するも惜敗。

*“捲土重来”を期して「落選」の翌日から地域巡り、街頭演説を開始。
*「“民主党への期待”で政権交代が起きたのではなく、“自民党政権に対する国民の嫌悪感”から政権交代が起きたのだ」ということを胸に自民党再生へ向け、県内選挙区支部長たちと「国政調査会」を立ち上げ、自民党政策の検証活動を展開、提言。

2005年(平成17年)

第44回衆議院議員総選挙

相模原初の“公募候補”としての挑戦。相手は民主党の重鎮 藤井裕久議員(民主党代表代行:当時)。大物現職議員相手の戦いは、誰もが「“善戦”をできれば…」と思う中、下馬評を覆す形で衆議院議員初当選!!

衆議院議員

議院運営委員会、総務委員会、環境委員会などに所属。
相模原市が「政令市」移行に向けて動く中、その後押しのため総務委員会で汗をかき、その一方で“国会全体の動き”を勉強するため、4年間議院運営委員会に籍を置かせていただきました。
河野洋平(元衆議院議長)、河野太郎衆議院議員との縁もあり、麻生グループ(為公会)に所属。

2003年(平成15年)

神奈川県議会議員選挙

相模原選挙区(定数8)にあって、堂々の“トップ当選”を果たす。

1999年(平成11年)

神奈川県議会議員選挙

1999年(平成11年) 神奈川県議会議員選挙 当時、相模原市では「無所属での県議会選挙は無謀」と言われる中、何とか“若さ”で初当選。当時、31才。